天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずの本来の意味

読み : テンハヒトノウエニヒトヲツクラズヒトノシタニヒトヲツクラズ

「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」は福沢諭吉が 1872年(明治5年)に出版した『学問のすすめ』の冒頭に書かれている言葉。

天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずの本来の意味

福沢諭吉の言葉として解釈される「人の上に人を造らず人の下に人を造らず」には、
2つの誤解がある

まず第一に、福沢諭吉自身の言葉ではないという点がひとつめの誤解である。

「人の上に人を造らず人の下に人を造らず」は福沢諭吉が言った言葉として捉えられることが多いが、そうではない。「人の上に人を造らず人の下に人を造らず」につづいて「と言えり」と書かれていることから、引用された文であることが分かる。明確な出典は不明だが、アメリカの独立宣言の一節を意訳した言葉を引用したと考えられている。
参考:考証・天は人の上に人を造らず……(慶應義塾)

2つ目の誤解は、「人の上に人を造らず人の下に人を造らず」は福沢諭吉が人の平等を訴えた言葉として解釈されることがあるが、福沢諭吉が伝えたかったのは学問に勤めることの大切さである。何もしなくても人はみな平等であるいう意味ではない。

確かに、「人の上に人を造らず人の下に人を造らず」は平等を訴える言葉であり、生まれた時点での平等性はあるものの、『学問のすすめ』において福沢諭吉が伝えたかったのは、学ぶことの大切さである。「人の上に人を造らず人の下に人を造らず」が引用されているのは『学問のすすめ』の初編にあたり、要約すると以下のような内容が書かれている。

「人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と言うけれど、現実には賢い人とそうでない人、裕福な人と貧しい人がいて、現実には差がある。人は生まれた時はみな平等であるが、仕事や身分、貧富に差がついていく。

ではその差はどこで生まれるのか?

それは実学(実用性を重視する学問)を身につけたかどうかである、と福沢諭吉は説く。人の間にある差は、学んだか、学んでいないか、そして学んだことを活かしたかどうかである、という意味である。

『学問のすすめ』において、福沢諭吉はこう語っている。

諺(ことわざ)にいわく、「天は富貴を人に与えずして、これをその人の働きに与うるものなり」と。されば前にも言えるとおり、人は生まれながらにして貴賤・貧富の別なし。ただ学問を勤めて物事をよく知る者は貴人となり富人となり、無学なる者は貧人となり下人げにんとなるなり。

引用:学問のすすめ(青空文庫)

富貴(裕福で身分が高いこと)は天から与えられるものではなく、人の働きによるものである、と。ただし、学問に勤めたものは裕福で身分が高くなり、学ばない者は貧しい者になると説いている。

つまりは生まれながらの差はないが、学ぶ努力をしたかしないかで人に差はできるのだという意味である。富貴を得るチャンスは誰にでもあり、その方法は学問に勤めること。学ぶことで人は富を得ることができる、という教えが書かれている。

確かに、「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」は生まれた時点での平等性だけ捉えればその解釈で間違いはないが、現実には貧富や身分の差はあるため、福沢諭吉が現実の平等性を訴えた言葉として解釈するのは間違い

まとめると、
・「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」は福沢諭吉自身の言葉ではない
・人は生まれた時は平等だが、現実には学問に勤めたかどうかで差が生まれる

ということである。

学問によって差が生まれる現実は不平等であるが、生まれた時点は平等であること、学問に勤めれば富める機会があるという点では、平等であると解釈できるが、「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」が一人歩きしてしまっているため、『学問のすすめ』で福沢諭吉が説いたこととは反対の意味で解釈されることが多い。