本田圭佑が日本代表で背番号4を選んだ理由

読み : ホンダケイスケガニホンダイヒョウデセバンゴウヨンヲエランダリユウ

サッカー日本代表における本田圭佑の背番号は元々「18」だったが、2012年のキリンチャレンジ杯・アゼルバイジャン戦から背番号を「4」に変更。2010年のW杯南アフリカ大会から背番号18で定着していたが、本戦に臨むメンバー発表時に背番号4に変更となったことが明かされた。右膝半月板の手術で9ヶ月の期間が空いた後の代表復帰戦となった本戦より正式に背番号4をつけることとなり、本田がつけていた背番号18は前田遼一がつけることとなった(前田遼一は11番をつけていたが宮市亮がつけることとなり、18番に変更となった)

背番号4を選んだ理由

本田圭佑が18番から4番を選んだ理由はいくつかある。
本田は20世紀最高のクラブと称されるスペインのレアル・マドリードで10番をつけてプレイすることが目標であることを語っているため10番が第一希望であるが、日本代表では香川真司が10番をつけているためそれ以外の番号を候補に。面白い番号が何かを考えたところ、3か4が好きであると思ったそう。
3番は駒野友一がつけていたため譲ってくれないかと頼んでみたところ断られたため、4番をつけていた栗原勇蔵に頼んでみると快くOKしてくれたのだという。駒野は3番にこだわりがあったそうだが、栗原は「本田さんに言われたら譲らないとね。オレはこだわりがないんで」と4番を譲った理由を語っている。
本田はキーパーがつけている1番や長友佑都がつけている5番も考えたそうだが、1番は登録上難しい、5番は長友がこだわりがありそうということで3番か4番が候補となった。

スペイン代表のMF、セスク・ファブレガスがアーセナルからバルセロナに移籍した際に4番となった例や、イングランド代表のMF・スティーヴン・ジェラード、もっと遡れば元オランダ代表のMF、ルート・フリットが背番号4をつけていた例があるが、サッカーにおいて4番は守備の選手がつけることが多く、攻撃的な選手がつけることは珍しい。日本代表では過去にDFの井原正巳や闘莉王らがつけていた番号であった。
本田は守備的な選手がつけることが多い4番を選んだ理由を「4番で点が取れる選手になれれば面白い」と語っている。

本田圭佑:周りは違和感があるというけど、その違和感は常識にとらわれているから。4番が守備的というイメージを払拭したいし、4番が日本でエースストライカーの番号になってもいい。そこは俺が変えていければ。初めて4番で点が取れる選手になれれば面白いかなと
引用:http://web.gekisaka.jp/74702_100699_fl

adidas陰謀論

俗説ではあるが、スポーツメーカーのadidas(アディダス)はここ数年日本代表の10番と契約することが多く、本田はミズノと契約しているため10番を与えられなかったというがある。
2010年10月8日にザックジャパンの初戦・アルゼンチン戦が行われたが、その際は10番は空き番号であった。本田は10番を希望したが監督のザッケローニ(ザック)は「まだ彼に背番号10は荷が重い。もう少し様子を見よう」と発言し、初戦のアルゼンチン戦は背番号10は空き番号となった。

その後、香川真司が10番をつけることになったのだが、香川はadidasと契約している選手であるためadidas陰謀論がネットで囁かれるようになった。またザックがadidasとアドバイザー契約を結んだことも陰謀論が囁かれるひとつの理由となった。さらに2011年3月29日に行われたチャリティーマッチでは家長昭博が背番号10をつけることになったが、家長もadidasの契約選手であった。
つまりadidasが自社のイメージために、本来なら本田がつけてもおかしくない背番号10をadidasと契約している香川につけさせたという陰謀論である。もちろんadidasはこの陰謀論を否定している。

本田に背番号10が与えられなかった公表された理由として、本田はW杯南アフリカ大会で2ゴールを決め、その時つけていた背番号18のイメージが強いという理由、また2011年のアジアカップでは背番号の欠番が認められていないため、ザックと日本サッカー協会が協議しブンデスリーガで活躍をしていた香川に背番号10が与えられることとなった。
※これはあくまでも噂程度の俗説であるため、10番を背負っている選手を中傷するものではありません。
香川も家長も素晴らしい選手であり、エースストライカーとしての素質を備える選手であるため背番号10を与えられたのだろう。

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