見栄晴
読み : ミエハル
見栄晴は日本のタレント
子供の頃から子役として様々な作品に出演していたが、大人になってからはぱっとせず、最近はあまり見かけない。
実家が東京競馬場に近かったということもあって競馬好きであり、競馬番組への出演の他、一口馬主外車の代表も務めている。
見栄晴の由来
本名は藤本正則(ふじもとまさのり)であり子役の頃は本名で活動していた。芸名となったきっかけは1976年からテレビ朝日系列で放送されていた萩本欽一主演の『欽ちゃんのどこまでやるの!?』通称『欽どこ』というバラエティ番組である。
この番組では萩本欽一を一家の長としたホームドラマ的なコメディーが展開されていたが、その中で長男が誕生するということになりその名前を視聴者に募集、そして決まったのが「見栄晴」という名前だった。最初は見栄晴は人形であり、その後成長し3歳になった時には子役が演じていた。さらにその後成長し15歳になった設定の見栄晴役オーディションが行われ、そこに参加したのが現在の見栄晴こと藤原正則であった。
当初は藤原正則という名義で活動しており、「見栄晴」というのはあくまで『欽どこ』内での役名であったが、高視聴率番組ということもあって「見栄晴」が定着していたためそのまま「見栄晴」を芸名として活動するようになった。