シド・ヴィシャス(Sid Vicious)
読み : シド・ヴィシャス
Sid Vicious(シド・ヴィシャス)はイギリスのパンクロックバンド・Sex Pistols(セックスピストルズ)のベーシスト。
本名:John Simon Ritchie(ジョン・サイモン・リッチー)
【目次】
シド・ヴィシャスの由来
シド・ヴィシャスという愛称(ニックネーム)の名付け親はセックスピストルズのヴォーカル、ジョニー・ロットン。
由来はジョニー・ロットンが飼っていたハムスター「Sid(シド)」。ハムスターの「シド」がロットンの父親に噛み付いたこともあり、「Vicious(悪意のある、物騒な)」をくつっけたそうだ。
シド・ヴィシャスは元々セックスピストルズの熱狂的なファンの一人であり、グレン・マトロック(ベース)脱退後にバンドに加入したが、ファン時代から記者を殴る、ライブ中にビール瓶を投げるといった行為などをしていたため、この名が付けられた。
ジョニー・ロットンも本名ではない。由来はこちらの記事で解説。
→ジョニー・ロットン
セックス・ピストルズの由来。
→Sex Pistols
セックスピストルズ解散後
ピストルズ加入時にはほとんどベースを弾けず、ライブではベースで客を殴る喧嘩する胸に「FUCK」とカミソリで刻むなど、武勇伝には事欠かない。
ピストルズ解散後には『Sid Sings(シドシングス)』というアルバムを発表。フランク・シナトラの『マイ・ウェイ』、エディ・コクランの『サムシング・エルス』などをパンクアレンジで披露。
ナンシー・スパンゲン刺殺事件
1978年10月13日、ニューヨークのチェルシーホテルのバスルームでシドの恋人であったナンシー・スパンゲンの死体が発見された。
凶器として使用されたナイフがシドの物であり、シドは麻薬の常習犯であったことからシドが刺殺したという説が有力となっているが、真相は未だに不明。
シドは警察に逮捕されたが、レコード会社が多額の保釈金を支払って釈放された。
1986年にシドの生涯を描いた映画『シド・アンド・ナンシー』が公開。
シド・ヴィシャスの死
ナンシー・スパンゲン刺殺事件から約4ヶ月後の1979年2月2日、麻薬の過剰摂取によりシド・ヴィシャスはこの世を去った(享年21歳)。
遺言は「ナンシーの墓の隣に埋葬して欲しい」とのことだったが、ナンシーの両親に拒まれたため、シドの母親は息子の遺言を果たすそうとシドの墓を掘り起こした後、シドの遺灰をナンシーの墓に撒いた。
21歳の若さでこの世を去ったシドは多くの人々に影響を与えた。彼の生き様自体がパンクであり、反骨精神としてパンクを体現し、未来にさえ「NO!」をつきつけた。