猿岩石
読み : サルガンセキ
猿岩石は有吉弘行(ボケ)と森脇和成(ツッコミ)による広島県出身のお笑いコンビ。1994年4月に結成し、『進め!電波少年』の企画であるヒッチハイクでブレイク。
プロデュース・秋元康、作詞・藤井フミヤ、作曲・藤井尚之による『白い雲のように』がミリオンセラーとなり、1997年の第39回日本レコード大賞の新人賞を受賞。この頃が人気の絶頂であったが次第にテレビ出演が減っていった。
2001年の4月にフジテレビの番組「プレゼンタイガー」内の企画にて、猿岩石のコンビ名の改称として「手裏剣トリオ」と「なうまんぞう」の2つが提案され、2人は「手裏剣トリオ」を選んで改名。コンビ名を改称することでブレイクしたさまぁ~ずの例もあるが、手裏剣トリオは再ブレイクせず、結局同年の9月に同番組内で猿岩石に戻すことを宣言。
その後も猿岩石としての再ブレイクは果たせず、方向性の違いにより2004年3月に解散。
有吉は2007年8月に放送された「アメトーーク」にて、品川庄司の品川に対して命名した「おしゃべりクソ野郎」などのように他の芸人にあだ名をつけたる芸や、毒舌芸人としてのキャラがきっかけとなり毒舌キャラを確立させ再ブレイクを果たした。
森脇は解散後は芸能界から引退し、実業家として活動しているもよう。
猿岩石のコンビ名の由来
コンビ名の猿岩石は、有吉と森脇が中学時代にそれぞれ片思いをしていた女の子のあだ名が由来となっている。有吉が片思いしていた女の子が「猿に似た男の子と付き合っていた」ことから「猿女房」、森脇は「岩石みたいな大きなほくろが顔にあった」ことから「ほくろ岩石」。「猿女房」と「ほくろ岩石」、この2つのあだ名を組み合わせて猿岩石となった。この頃から毒舌なあだ名をつけてたようだ。てゆうかホントに好きだったのか・・・?
ちなみに、有吉弘行の正しい読み方は「ありよしひろいき」。「ひろゆき」ではない。これは父親が役所に名前を届け出る時に酒に酔っていたため、間違って「ひろいき」と書いて提出してしまったから。読み方としては「ひろゆき」が正しいわけだが、本名は「ひろいき」になっている。
『白い雲のように』。思ったより歌が上手かったということで歌手デビューすることに。
カップリングの『どうして僕は旅をしているのだろう』の作詞にクレジットされている高井良斉は秋元康のペンネーム。
→高井良斉の由来