ドリームキャスト
読み : ドリームキャスト
ドリームキャストはセガから発売された家庭用ゲーム機。
日本では1998年に発売され、ソニーのプレステに対抗する機種として期待されたが、発売当時に供給が間に合わなかったこと、前世代のセガサターンからの互換性がないこと、ソフト不足などでプレステ2に勝つことはできず、2001年3月に製造終了。セガはこのドリームキャストを最後に家庭用ゲーム機の製造・販売からは撤退することとなる。
「ドリキャス」の愛称で親しまれ、ヒットはしなかったが多くのファンを持つ。
ドリームキャストの由来
ドリームキャストという名前は「dream(夢)」と「broadcast(広く伝える)」を組み合わせた造語である。
飯野賢治が名付け親とする説もあるが、たくさんの候補の中から絞ったもので特定の命名者はいないとしている。
開発中には「KATANA」というコードネームが付けられていた。これは「刀」ではなく大阪便の「勝たな」であり、「勝たなければ」という意味である。
ドリームキャストの宣伝戦略
ドリームキャストは発売前から宣伝戦略プロデューサーに秋元康を起用。
当時プレイステーションに大きく水を開けられていたこともあり「セガなんてだっせ〜よな」「プレステの方が面白いよな」など、自虐的なCMを多く用いた。
その広告戦略の一つが当時セガの専務であった湯川英一、通称「湯川専務」のCM出演である。
湯川専務はCMで人気を博しCDデビューするなど話題になったが、ドリームキャスト発売時に本体の製造が間に合わず出荷量が予定より大幅に減少、結果販売チャンスを逃してしまったという責任を取らされる形で専務から常務へと降格させられ「湯川元専務」となった。
しかし、実は湯川専務はそもそも親会社であるCSKから出向していた人物であり、ドリームキャストの製造はもとよりセガの事業に関する責任はほとんどなく、この人事異動も話題作りの一環であったと思われる。