読売新聞

読み : ヨミウリシンブン

読売新聞の由来

読売新聞は、江戸時代から明治初期まで存在していた印刷物「瓦版(かわらばん)」が由来となっている。瓦版には読売と関係する言葉が含まれていないが、一体どうつながるのか?それには江戸時代の報道のあり方が関係している。

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瓦版は江戸時代に生まれた印刷物で、現代の新聞のような役割を果たしていた。現代では報道の自由が憲法で保障されているが、江戸時代は幕政に関する報道に対して厳しく規制が敷かれ、瓦版は幕府から出版が禁止されていた。

瓦版は売り子が町で売り歩いていたが、幕府から禁止されているゆえ、売り歩く際は笠で顔を隠し、二人一組で売り歩いていたそう。一人は呼び込みをしてかわら版を売る役、もう一人は見張り役という感じで。

ここで問題となるのが、江戸時代は庶民がみな文字を読めたわけではないということ。文字を読めない人にもわかるように、瓦版の内容を「読みながら売る」という手法がとられていた。重要な部分を読み上げて興味を引き、人を集めて売るというのが当時の瓦版の売り方。

江戸時代、瓦版はその内容を読みながら売っていた。これが読売の由来となっている

当時の瓦版はニュースだけでなく、妖怪や珍獣などの眉唾ものの話題も取り扱っており、現代の週刊誌のような役割もあった。瓦版は見世物小屋と提携し、人を集めるという商法を行っていたそう。

たとえば、人魚が出たという瓦版を出せば、見世物小屋では人魚のミイラを展示するといった感じで。瓦版は見世物小屋で見物料を取るための広告の役割を果たしていた。

瓦版にもいろいろ種類があり、幕府に関するニュースを取り扱ったり、妖怪など娯楽性の高い話題を取り扱ったり、はたまた心中などの世間一般の事件を取り扱ったりしていたそう。娯楽が少なかった江戸時代では、かわら版はひとつの娯楽でもあったのだ。

明治時代に新聞が生まれて瓦版は衰退していったが、瓦版も明治初期まで新聞と共存していた。