ネタをランダムに見てひまつぶし

毛皮のマリーズ

読み : ケガワノマリーズ

毛皮のマリーズは2003年に結成され、2011年12月31日をもって解散した4人組のロックバンド。通称はマリーズ。2005年に前任ドラマーが失踪し、ギターの越川和磨と同じバイトでドラム未経験であった富士山富士夫が加入。富士山は加入前はお笑い芸人を目指しており、人力舎でお笑いコンビを組んでいた。ヴォーカルの志磨遼平は解散後にドレスコーズを結成し活動いている。

毛皮のマリーズの由来

バンド名は劇作家・寺山修司の戯曲『毛皮のマリー』(1967年)を由来としている。志磨遼平が美輪明宏や寺山修司を好んでいたことから、美輪明宏も出演したことがある『毛皮のマリー』をバンド名に。ローリング・ストーンズは彼らがフェイバリットにあげていたマディ・ウォーターズの「ローリング・ストーン」をバンド名にしたように、自分たちも好きな作品をバンド名に、しかし”あえて音楽じゃないものをバンド名にしよう”ということから選ばれた。志磨遼平は小さい頃から寺山修司が好きで、江戸川乱歩、夢野久作、澁澤龍彦、太宰治なども好んで読んでいたそう。

『ボニーとクライドは今夜も夢中』の由来

1stアルバム『毛皮のマリーズ』に収録されている『ボニーとクライドは今夜も夢中』は、1930年代のアメリカ・テキサス州ダラスを中心に強盗や殺人を繰り返していたクライド・バロウとボニー・バーカー夫婦の通称「ボニーとクライド」が由来。『俺たちに明日はない』(1967年)は「ボニーとクライド」の実話を元にした映画。あるファンレターに書いてあった「あなたは私のクライドです、一緒に銀行強盗しませんか」という文面からタイトルを思いつき、「ひと昔前のロックバンドが、レコード会社にイヤイヤ書かされた(であろう)シングル曲」というテーマで曲を書いたそう。

1stアルバム『毛皮のマリーズ』のラストに収録の『晩年』は太宰治の同名小説が由来となっている。、本アルバム制作期間がちょうど太宰治の生誕100周年にあたり、志磨遼平は長らく太宰治から遠ざかっていたが、色んなところで目にしたことをきっかけに太宰治を読み返したそう。このアルバムも『晩年、或いはファースト』というタイトルにしようと考えたそうだが、メジャーデビュー=再スタートとしてバンド名を冠することに。
毛皮のマリーズ

怪・セラ・セラ

読み : ケ・セラ・セラ

『怪・セラ・セラ』は山下智久の7枚目のシングル(2013年3月13日リリース)
読み方は「ケ・セラ・セラ」。
日本テレビドラマ『心療中-in the Room-』主題歌。

怪・セラ・セラの意味・由来

曲タイトルの『怪・セラ・セラ』はスペイン語で「なるようになる」を意味する「ケ・セラ・セラ(Que Sera, Sera)」に由来している。歌詞からも分かるように『怪・セラ・セラ』は「モノノ怪」の「怪(ケ)」とかけている。
「Que Sera, Sera」はフランス語と思われがちだがスペイン語であり、英語では「Whatever will be,wil be」と訳される。元々歌として広まった言葉で、2番目の「sera」は音韻のために付けられたと考えられるため正しい文法ではない。

楽曲はロックバンド・パスピエが手がけている。ヴォーカルの大胡田なつきが作詞、キーボードの成田ハネダが作曲を担当し、独特な世界観を作り出している。
パスピエは2009年結成、2012年6月にメジャーデビューし、わずか1年たらずでドラマ主題歌を担当。
不思議な世界観を持つ注目のバンド。

東京23区由来まとめ

読み : トウキョウニジュサンク

新宿区の由来

江戸幕府が開かれた1603年の翌年には日本橋を起点として五街道が定められた。そのうちの一つであった甲州街道は日本橋から甲府への幹線だったが、日本橋から最初の宿場であった高井戸までの距離が長かったことで、その高井戸までの間に新しく宿場を設置したいということで現在の新宿のあたりに新しい宿場が設けられた。その宿場は信州高遠藩内藤若狭守の下屋敷に置かれた新しい宿ということで『内藤新宿』と呼ばれ、そのうち『新宿』と言われるようになった。

新宿区は1947年に四谷区牛込区などを前進として発足されたが、新区名として「新宿」が採用されたのはこの「内藤新宿」が歴史ある名前であることや他の地名より普遍的な名前であるという理由からであった。他には「戸山区」「武蔵野区」「山手区」「早稲田区」などといった区名の候補があったという。

新宿区の紋章

新宿区の紋章とされているよくわからないマークは『新』という文字を一筆書きで勢い良く描いたものであり、新宿区が未来に向かって堅実に発展していく意志を表しているという。ちょっと『新』には見えませんが…。

世田谷区の由来

「世田谷」の語源については諸説ある。
まず「せた」というのは「瀬戸」からきているという説。「瀬戸」というのは「狭い海峡」を表す言葉で、瀬戸内海が海と呼ぶには狭い海峡ということでその名がついていることからもわかる。世田谷には当然海はないが、狭い海峡という意味から転じて狭い谷地についても「瀬戸」と呼ばれるようになり、この「せと」が訛って「せた」「瀬田」になった。そして「せた峡」と書き「せたかい」や「せたかえ」とも読まれた。谷が多いということで「せたがや」と言われるようになり、「世田谷」あるいは「世田ヶ谷」と書かれるようになる。「世」という文字については当て字だと言われる。

また多摩郡の勢田という地方に含まれていたということから「せた」と呼ばれるようになったという説もあり、上記の説とこの説を組み合わせたような説もある。

世田谷区の紋章

世田谷区の紋章については1956年に公募で決定された。
円は区内の平和、中心は「世」という文字が三方向に広がり人々の協力と区の発展を表している。

世田谷区の紋章

墨田区の由来

墨田区は1947年に向島区と本所区が一つになって誕生した。
昔から人々に親しまれた隅田川堤の通称である「墨堤(ぼくてい)」の「墨」と「隅田川」の「田」から墨田区になった。要は隅田川が由来だということである。

墨田区という名前を決定するにあたって「隅田区」という名前も候補になっていた。しかし1947年当時は「隅」という字が当用漢字ではなかったため使用することができなかった。当用漢字は1946年に内閣によって告示されたものであり、1981年に常用漢字が告示されたことによって廃止となっている。そして隅田川は当時は荒川の本流部分の俗称であり法律上の正式名称ではなかった(1965年に隅田川に改称)、これらのことから「隅田区」とはならずに「墨田区」となった。

墨田区の紋章

墨田区紋章

墨田区の紋章は「スミダ」の頭文字であるカタカナの「ス」を3つ重ねたもの。言われてみればたしかにそうだ。

葛飾区の由来

まず「葛飾」という地名はこの葛飾区の固有の名称ではなく、この周辺の千葉県や埼玉県、茨城県を含めた葛飾郡という広い区域を示すものであった。その中央は現在の千葉県市川市の辺りであり、現在の葛飾区の辺りは葛飾西部ということで葛西と呼ばれていた。そのため現在も葛西駅など地名や施設名にその名が残っている。逆に千葉などの地名に「葛飾」やその一部がつく地名や施設が多いのもこのため。

「葛飾」の語源については諸説あるため、明確な由来は不明。
葛(くず)がたくさん繁っていたため「葛繁」とされ、それが変化したという説。
「カツ」は昔の言葉で「崖」や「丘」を示す「カテ」「カト」という言葉、「シカ」は川沿いの砂の堆積を表す「砂州」を示す「スカ」という言葉であり、江戸川沿いの丘陵地帯を指して「カテスカ」や「カトスカ」などと読んでいたのが「カツシカ」になったという説。
南洋系の民族が名付けたもので「狩場の方向」を意味する言葉であったという説。
他にもアイヌ語であるという説などもありハッキリしていない。

葛飾区の紋章

葛飾区の紋章・マークは葛飾(カツシカ)の頭文字である「」そして感じの「力(ちから)」を意味している。とてもシンプル。

千代田区の由来

千代田区は1947年に麹町区と神田区が合併してできた区。
「千代田」という地名については江戸城がかつて「千代田城」と呼ばれていたことから付けられている。現在の皇居は江戸城があった場所にある。
千代田城の「千代田」というのは「千代=永遠」の「田園」、つまり末々まで繁栄し続ける田園地帯であるという意味を持つ「千代田村」という地名から採ったものだった。

千代田区の紋章

千代田区紋章

千代田区の紋章は「」の文字を鶴が飛ぶ姿に、そして「代」を平仮名の「」としてその形に似せ、マーク全体が「」の字になっている。

目黒区の由来

目黒区は1932年に目黒町と碑衾町(ひぶすままち)が合併してできた区。
「目黒」という地名には諸説あるためハッキリとした由来については不明とされている。

まずは「目黒不動尊」からという説。これはこの地に古くからある「龍泉寺」というお寺が通称「目黒不動」と呼ばれているため、そこから地名が付けられたというもの。「目黒不動」というのは、五行思想の五色である「白・黒・赤・青・黄」にまつわる伝説をもつ不動尊を指す『五色不動』の一つ。これは各所に存在するが東京のものが特に有名であり、目黒不動の他にも目白不動目赤不動目青不動目黄不動が存在している。さながら不動レンジャーである。ただしこの目黒不動以前から「目黒」という名称は存在していたようで、直接の由来とは言えない可能性もある。

他にはこの地方は牧場が多く、そこで飼われていた馬の毛色や目の色が黒かったからという説。
同じく牧場からの説として、馬が逃げ出さないよう土を盛ったあぜ道のことを馬畦(めくろ)と呼び、それが訛ったものだというものもある。

目黒区の紋章

目黒区紋章

目黒区の紋章は合併する前の目黒町で使われていたものをそのまま引き継いだものであり、大正8年に目黒町になる前の目黒村の役場関係者によって作られた。
そのため紋章の成り立ちについての記録は残っておらず、目黒の「目」の字を図案化したものだと言われているが、外側の六角形については意味がわかっていないとのこと。
」じゃなくて「」に見えるのは気のせいだろうか。

文京区の由来

分陽区は1947年に当時の小石川区と本郷区が合併して誕生。
「文京区」という区名は公募によって決定された。東京大学をはじめとして教育機関が数多く存在することや出版関連の会社も多いことから「文の京(みやこ)」「文教の府」と言われており、そこから「文京」と名付けられた。「文京」は漢字でも書きやすいということから採用された。

「東京大学」にダマされるな!

文京区の紋章

文京区紋章

文京区の紋章も公募によって決められた。「」の文字を図案化したもの。

台東区の由来

台東区は1947年に下谷区浅草区が合併して誕生した。
合併時にはこの二つの区から新しい区名についての案が出されていた。下谷区は「上野区」、浅草区は「東区」を提案。しかしそのどちらとも決められることはなく、最終的には上野の高台である「台」の字と、上野の東側の下町を連想する「東」を組み合わせた「台東」となった。
またこの「台東」というのは中国の漢字辞典である康熙字典に「日出る処、衆人集まって栄える場所」というめでたい意味でも載っている。
「台東区」は「たいとうく」と読むが、初期の頃は統一されていなかったため、高齢者には「だいとうく」と読む人も多い。

台東区の紋章

台東区紋章

区の紋章は「台」と「東」を組み合わせたデザイン。中の宇文が「台」外の部分が「東」を表している。目黒区の紋章と似ている。

江東区の由来

江東区は1947年に深川区城東区が合併してできた区である。
区の名称は隅田川の東側であるという意味と、深川を意味する「江」と城東を意味する「東」でもある。
「江東」という地名は古くから使われており、深川陸や隅田川東部を指す地域がそう呼ばれていた。

江東区の紋章

江東区紋章

江東区の紋章は区内の小中学校から募集した物から採用し、一部修正したとのこと。ずばり「江東」の文字が入っているという、他の区に比べ非常にわかりやすいものになっている。

品川区の由来

1932年に品川町、大井町、大崎町によって品川区が誕生、1947年に荏原区を編入して現在の形になった。
「品川」という地名は目黒川がかつて「品川」と呼ばれていたということからきているとされる、河口付近は古くはして使われており、『品』の行き交う『川』であったことから「品川」となったとされている。

またこれ以外にも品(ヒン)の良い地形だということから「高輪」という地名に対して「品ヶ輪」→「品川」となった説や、
神奈川(上無川)に対する「下無川」から「品川」になった説、
この地方の領主が「品川氏」であったという説、など諸説がある。

品川区の紋章

品川区紋章

品川区の紋章は「」の字を図案化したもの。「友愛」「信義」「協力」の3つからなる推進機の形になっており、前身と勤労を象徴している。

江戸川区の由来

区名の由来は区内を流れる「江戸川」からそのまま採ったもの。区名を決める際に「松江」という地名から「松江区」という案もあったが、知名度が低いため採用されなかった。
「江戸川」という名称は「江戸に通ずる川」という意味から、「江戸」は江(川)の戸(入り口)という意味だとされる。

江戸川区の紋章

江戸川区紋章

「江戸川」の頭文字である「」をとして図案化したもの。発展と平和を象徴しており、円形は区民の協力と融和を示している。

渋谷区の由来

渋谷区は渋谷町、千駄ヶ谷町、代々幡町が合併して誕生、当時最も発展していた渋谷町から区の名前が採られた。
「渋谷」という地名には諸説ある。
元々入江であったため「塩谷(しおや)の里」と呼ばれており、「しおや」が「しぶや」に変わったという説。
もともとこの地方の領主であった河崎重家が京都の御所に侵入した「渋谷権介盛国」という賊を捕まえた。これにより河崎重家に「渋谷」の姓が与えられ、その領地が「渋谷」という地名になった説。
地域を流れる川が鉄分を多く含み赤錆色で「シブ色」だったことから「シブヤ川」と呼ばれた説。

渋谷区の紋章

渋谷区紋章

渋谷区の紋章は昭和31年に区民からの公募で決められた。
「渋」という文字を図案化したものである。

大田区の由来

大田区は1947年に当時の大森区と蒲田区が一つになって誕生した。
そのため『大田区』という名称は「森」と「蒲」から一文字づつとって命名された。

大田区の紋章

大田区紋章

大田区の紋章は区民から公募したもので、区名と同じく「大」と「田」の文字を図案化したもの

中野区の由来

中野区は1932年に中野町と野方町が合併して誕生した。この際「中野」と「野方」から一文字づつ採ったという説と、単純に「中野」から採ったという説がある。
「中野」という地名は「中野郷」から来ている。これは武蔵野の真ん中にある郷という意味である。また、善福寺川と妙正寺川の中の郷という意味もあるという。

中野区の紋章

中野区紋章

中野区の紋章は昭和15年に区民からの公募で決定。「中」と「の」を図案化したもの。

杉並区の由来

杉並区は1932年に杉並町、和田堀町、井荻町、高井戸町の4つの町から誕生した。
「杉並」という地名は江戸時代にこの地方の領主であった岡部氏が、領地の境界線として青梅街道に沿って杉並木を植えたことが始まりとされています。明治時代の前にはこの杉並木はすでに無くなっていたようですが、その後も村の名前として残り、杉並町、そして杉並区となった。

杉並区の紋章

杉並区紋章

杉並区の紋章は「杉の木」の文字を図案化したものえ、昭和27年に制定された。

豊島区の由来

1932年に巣鴨町、西巣鴨町、高田町、長崎町の4町から豊島区が誕生。もともとこの4つの町があったのが北豊島郡であったため「豊島区」という名称が採用された。
「豊島」という地名はかつて東京湾が入り込んでおり、その沿岸近くに多くの島(州)があった事が由来となっている。島が豊かにあったということから「豊島」

豊島区の紋章

豊島区紋章

区の紋章は豊島の「豊」の文字の周りには東京都の紋章である六方に伸びる亀甲模様、そしてその外には菊の花が描かれている。

荒川区の由来

1932年に南千住町、三河島町、尾久町、日暮里町が合併して荒川区が誕生した。
区名は河川である「荒川」が由来となっている。現在の隅田川は昭和39年まで荒川と呼ばれていた。つまりは区名は現在の隅田川から付けられたとも言える。
「荒川」という河川名はかつて何度となく洪水によって氾濫を繰り返してきたことから「荒ぶる川」ということでその名がついた。

荒川区の紋章

荒川区紋章

区の紋章は上部が「ア」中心の水平線と下部が「ラ」中心の三本線が「川」で「アラ川」となっている。わかりにくいがよく見れば確かに。

板橋区の由来

1932年に板橋町、上板橋町、志村、赤塚村、練馬町、上練馬村、中新井村、石神井村、大泉村の9つが合併して板橋区が誕生した。
「板橋」という地名の発祥についてははっきりとした由来が残っていない。鎌倉時代にはすでにその名が使われており、中山道が石神井川を横切る地点にかけられた木の橋のことを「板橋」と読んだという説が有力とされている。また、「イタ」は崖や岸といった意味であり、崖の端にある土地であることを意味しているという説もある。

板橋区の紋章

板橋区紋章

区の紋章は「イタバシ」の4つのカタカナを図案化したもの。中央の円が「イ・タ」四方に「ハ」がが4つということで「ハシ」となる。野球のボールのようにも見える。

練馬区の由来

1947年に板橋区から練馬町、上練馬村、中新井村、石神井村、大泉村が分離して誕生した。
「練馬」という地名には諸説ある。
その昔馬を集めて調練した地であったことから「練馬」となった説。
関東ローム層の赤土を練っていたところが「ねり場」と呼ばれたことから説。
奥まった場所(根)に「沼」が多かったことから「根沼(ねぬま)」と呼ばれていた説。
乗潴(のりぬま)」という宿駅が「ねりま」となった説。

練馬区の紋章

練馬区紋章

区の紋章は「ネ」の文字と「馬のひづめ」を図案化したもの。なんかかわいい。

足立区の由来

「足立」という地名の由来には諸説ある。
植物の「葦」が多く立ち並んでいた土地であるということで、「葦が立つ」というところから「葦立」「あしだち」「あだち」となったという説。
台地」を意味する「たち」という言葉に接頭語の「あ」がついて「あたち」となった説。
日本武尊が立てるようになったという伝説からその名がついたという説。
万葉仮名では「阿太知」書かれていたものを置き換えたものであるという説などなど。

足立区の紋章

足立区紋章

足立区の紋章は昭和33年に公募によって決まったもの。「足立」の文字を図案化している。落下してる人のようにも見える。

中央区の由来

1947年に日本橋区と京橋区が合併して中央区が誕生した。
「中央区」というのは東京のほぼ中央に位置しているからというそのままの由来である。

中央区の紋章

中央区紋章

中央区の紋章は日本橋・京橋の欄干擬宝珠(らんかんぎぼし)を図案化したもの。欄干擬宝珠というのは橋の装飾のこと。橋というのは古来から文化経済の発祥とされていることから。図中央の円は日本と東京の中心を示している。

港区の由来

1947年に芝区、麻布区、赤坂区が合併して港区が誕生した
区名の案は東京新聞によって募集された。様々な案があったがその中から「東港区(とうこうく)」という名称に絞られ、そうなる予定でもあったが、「東京都東港区(とうきょうととうこうく)」と読みにくい名前になってしまうため「東」を取って「港区」となった。
もとの案だった「東港」は東京港の中心をなす区であるという意味。

港区の紋章

港区紋章

区の紋章は昭和24年に制定された。「港区(みなとく)」の「」を図案化したものである。

北区の由来

1947年に王子区と滝野川区が合併して北区が誕生。
北区という名称は特にひねりがあるわけでもなく東京の北部にあるから。しかし「城北区」や「京北区」という案もあったそうで、最終的には東京における位置を示す「北区」に落ち着いたとのこと。

北区の紋章

北区紋章

北区の紋章は「北」の文字を図案化したもの。円に翼が生えたようなデザインで、ダイナミックに躍動する姿を表している。

久々にワロタ

読み : ヒサビサニワロタ

久々にワロタは文字通り久々にワロタ時に貼られるAA
しかし実際に笑った時に貼られるのではなく、昔の2chは良かった等、新参に苦言を呈す古参を揶揄する意味で貼られる。
そういう意味を持つため、笑ったスレではなく糞スレに貼られることも多いAAである。

久々にワロタ

久々にワロタの元ネタ

AA部分とセリフ部分については元ネタが別である。
セリフ部分については2chのモーニング娘。(狼)板で使われていた下記のコピペを改変したもの。

久々にワロタ
こういうスレが沢山立ってたのが昔の狼なんだよな
新参は過去の狼を知らないから困る

昔は顔文字つかっただけでGM池とののしられたもんだ
あのころは殺伐としていたけど一つひとつのレスに心があったしレベルも高かった
今のゴミ連中には想像もつかないだろうけどな

祭りがあれば無意味に盛り上がれ、それが昔の狼だったのに
今はマジレスばかりで萎えまくる

このコピペの最初の部分を改変したものがVIP板で使われていた。
そしてそこに付いたのが禿げたおっさんのAAであるが、これはアニメ『銀河英雄伝説』に登場するハイドリッヒ・ラングというキャラクターである。もちろんこのセリフとこのキャラとは全くの無関係である。

2005年頃にVIP板に新参が大量に入ってきたことでVIPクオリティの低下が危惧された際に、古参が新参を嫌がり「VIP終わったな」等としていたことを揶揄する意味で多数貼られていたAAである。

ねだるな、勝ち取れ、さすれば与えられん

読み : ネダルナ、カチトレ、サスレバアタエラレン

「ねだるな、勝ち取れ、さすれば与えられん」は自分の求めるものはねだるのではなく、自分の力で勝ち取る努力をしなさい、という意味の格言である。

「ねだるな、勝ち取れ、さすれば与えられん」の元ネタ・意味

「ねだるな、勝ち取れ、さすれば与えられん」はアニメ『交響詩篇エウレカセブン』内のセリフが元ネタとなっている。

第2話「ブルースカイフィッシュ」で主人公のレントン・サーストンはリフボードで空を飛ぶ際、小さい頃に姉・ダイアンから聞いた「ねだるな、勝ち取れ、さすれば与えられん」という言葉を思い出し、「アーイ キャーン フラーーーイ!!!」と叫びながら、初めてリフで空を飛ぶことができた。この格言は父のアドロック・サーストンが最後に家を出た時に姉のダイアンに遺した言葉である。

今までリフで空を飛ぶことができなかったレントンが、父の遺した言葉を力にしてリフを成功させた。そして、リフで空を飛ぶことができたレントンは心の中でこう叫び、難易度の高い技・カットバックドロップターンを成功させた。

待ってちゃダメだ、ねだってちゃダメだ、俺は今・・・勝ち取りに行くんだ!!!

「ねだるな、勝ち取れ、さすれば与えられん」の元ネタの元ネタ

「ねだるな、勝ち取れ、さすれば与えられん」はエウレカにおけるオリジナルの格言であるが、『新約聖書 −マタイによる福音書(マタイ伝)』の7章7節に記されている以下の言葉を元ネタにしていると考えられる。

求めよ、さらば与えられん
探せよ、さらば見つからん
叩けよ、さらば開かれん

この言葉は「神に祈り求めなさい、そうすれば神は正しい信仰を与えてくださるだろう」という意味である。

「ねだるな、勝ち取れ、さすれば与えられん」とは少し意味のニュアンスが異なっているが、与えられるのを待つのではなく、自分から求めて動くことが大事であるという意味では、言わんとしていることは同じである。

ゲッコーステイトのリーダー・ホランドも師であるアドロック・サーストンからこの言葉を聞き、大事にしていた。

しゃべる机

読み : シャベルツクエ

「しゃべる机」は人間と会話することができる机のこと。
実際には存在しないが、実際に存在する。

しゃべる机とは

しゃべる机というのは新聞社などの「デスク」のことである。

主に日刊ゲンダイや夕刊フジといった夕刊紙において、記者と「デスク」との会話形式で記事が書かれていることがある。記者が内容をデスクに話し、それにデスクが驚くというような内容が多い。記者「◯◯◯」デスク「●●●」といったような形で書かれるため、「デスク」が喋っている形になっているというわけだ。

デスクというと言うまでもなく英語の「desk」つまり「机」であり、さも机が喋っているかのように思えるというわけである。こういった夕刊紙ではありもしない妄想を書き連ねていることも少なくなく、とくにこういった記者とデスクの会話形式になっている記事に関しては実際にデスクとの会話などなかったにも関わらず、そういった会話があったかのように書かれていることが多い。

記事の内容にも信ぴょう性がないため、こういった記事に対しては「机が喋った」「また机が喋ったのか」「ま机喋」などと書かれる。

デスクってなんだ

そもそもこの「デスク」というのはどういう人なのか。デスクは新聞社において記事の取材や編集を統括するポジションの人間のことを指し、記者が書き上げた記事の内容を最初に確認する人間でもある。誤字脱字をチェックしたり内容に駄目だしをしたりする。
デスクというのはそのまま英語の「desk=机」が語源となっている。ずっと机にへばりついて仕事をしているためで、主にアメリカでこのように呼ばれていたもの。

しゃべる机は実在していた…。
リビングのおともだち つくえちゃん

ハーレムシェイク(Harlem Shake)

読み : ハーレムシェイク

「ハーレムシェイク(Harlem Shake)」は2013年の2月頃から広まった動画シリーズを意味する。
約30秒ほどの短い動画の中で複数人がただ踊るだけという内容だが、爆発的に広まり世界中で様々なハーレムシェイク動画が投稿されている。
動画では複数人登場するが冒頭は一人が踊るだけだが、約15秒あたりに入る「Do The Harlem Shake!」の掛け声を合図に全員が踊り出すのがお決まり。
ただ踊るだけの動画だが一度見聴きすると目と耳から離れない中毒性を持っている。

ハーレムシェイク(Harlem Shake)の元ネタ

ハーレムシェイクの元ネタは日本在住のヴロガー・Filthy Frank(フィルシー・フランク)氏が2013年2月2日にYouTubeに投稿した「DO THE HARLEM SHAKE (ORIGINAL)」。使われている楽曲はフィラデルフィア出身のDJ・Baauer(バウワー)の『Harlem Shake』。本曲は動画がきっかけで爆発的に知名度を上げ米iTunesシングルチャートで1位を獲得。
※ヴロガー(Vlogger)はブロガーの動画バージョンでフランク氏はYouTubeに動画を多数投稿している

これがブームの元となったオリジナルの「ハーレムシェイク」。ピンクの全身タイツを着ているのがフィルシー・フランク氏。シリーズでは冒頭で踊るのは一人だけだがオリジナルでは全員が冒頭から踊り、「Do The Harlem Shake!」で踊りが激しくなる。
冒頭の掛け声「Con los terroristas(コロテロリータ)」はスペイン語で「テロリストと共に」を意味する。

オリジナルと同日に投稿された「The Harlem Shake v1 (TSCS original) 」。本動画が「ハーレムシェイク」を広めるきっかけになった。本動画では冒頭で一人だけ踊り途中から全員が踊りだす。現行の「ハーレムシェイク」はこの動画を元にしていることが分かる。

アメリカのテレビアニメ『ザ・シンプソンズ』バージョンまで作られた。

LMFAOのRedfoo(レッドフー)もヴァレンタインに恋人のテニスプレイヤー、ビクトリア・アザレンカ(ヴィカ)に向けて「ハーレムシェイク」を制作

ノルウェー陸軍まで「ハーレムシェイク」に参戦。オリジナルを超える再生回数を記録

他にもGoogleやIntelオフィスで撮影したバージョンもある。