「3月のライオン」は羽海野チカの将棋マンガ。第18回手塚治虫文化賞を受賞。2016年10月よりアニメがスタート。
3月のライオンの意味・由来
「3月のライオン」というタイトルは、1992年公開の同名映画 「三月のライオン 」が由来である。作者の羽海野チカは、「三月のライオン」のポスターを気に入ってタイトルに採用したそうだ。
英タイトル/サブタイトルの「March comes in like a lion」はイギリスのことわざ「March comes in like a lion and goes out like a lamb(3月はライオンのようにやって来て、羊のように去っていく) 」が由来。このことわざは春の訪れを表現しており、3月の初めは春の暖気と冬の寒期が交互にやってきてライオンのような荒々しい天候で始まり、3月の終わりは羊のような穏やかな天候になって去っていくという隠喩が込められている。
三月のライオン
2008年4月号の『ダ・ヴィンチ』に掲載された「羽海野チカ ロングインタビュー」で、作者の羽海野チカは「3月のライオン」というタイトルについて以下のように語っている。
羽海野チカ:
映画は観てないんですが、そのポスターが好きだったんですね、すごく。
おかっぱの女の子が食べかけのアイスをくわえているポスターで、その表情がまたすごくよかったんですよ。
それでその映画は観てないんですが、タイトルは頭に残っていて。
イギリスのことわざなんですよね、これ。
3月はライオンのようにやってきて、子羊のように去る。
物語がつくれそうな言葉だなとずっと思っていたタイトルです
引用:ダヴィンチ 2008/04月号
将棋の順位戦は6月から始まり翌年の3月まで続き、3月は順位戦の結果が出る重要な月であるため、「3月のライオン」というタイトルには”棋士はライオンのようになる “という暗喩も込められている。3月は昇級・降級の分かれ道となり、成績によって収入も大きく変わる。また、3月上旬に行われるA級の最終戦は名人へ挑戦できる者と降級者(2名)を決める重要な対局であり、長い対局時間と対局の内容の濃密さから「将棋界の一番長い日」と称される。
「ハチクロ」の10巻に花本先生と真山が将棋にハマる姿が描かれているが、著者の羽海野チカいわく、「ハチクロ」の8巻くらいから将棋にハマりだして、その頃から調べたり話を考えたりしていたそうだ。棋士の人と話しているうちに、棋士には将棋しかない、将棋にしか特化していない人が多く、それはマンガ家にも通じることで、シンクロするものを感じたことが将棋マンガを書こうと思った理由のひとつとのこと。
作中のタイトル戦、三月町・六月町のモデル
作中には名人戦、獅子王戦、棋神戦、棋竜戦、棋匠戦、玉将戦、聖竜戦の7つのタイトル戦が存在する。
現実の将棋界には名人戦、竜王戦・王位戦、王座戦、棋王戦、王将戦、棋聖戦の7タイトルがあり、名人戦以外は名称が異なる。
獅子王戦は竜王戦がモデルになっており、獅子王線は11~12月にタイトル戦が行われるが、元になっている竜王戦は1~3月に行われる。新人戦は新人王戦がモデルになっているが、新人戦は一番勝負、新人王戦は三番勝負という違いがある。
●三月町・六月町のモデル
主人公の桐島零やが住む六月町と川本三姉妹が住む三月町は架空の町で、六月町は東京都中央区新川あたり 、三月町は東京都中央区月島や佃あたり がモデルとなっている。中央大橋、隅田川、佃公園、佃大橋、聖路加タワー、霊岸島水位観測所(新川)、交番(月島)など実在する風景が作中で描かれている。
二階堂晴信のモデル
主人公の桐山零のライバルであり、親友(自称)でもある二階堂晴信。彼は幼い頃から腎臓に病気を患っていて、身を削りながらも対局に臨む。
そんな二階堂のモデルは、実在した棋士、故・村山聖(むらやま さとし)九段であると言われている 。村山聖九段は、5歳の時に腎臓の病気・ネフローゼ症候群にかかっていることがわかり、入院中に将棋と出会い、以来、病気と闘いながら将棋を指し続けた。
彼は奨励会入会からプロ入りまでわずか2年11か月という、羽生善治を越えるスピードでプロデビューを果たす。「東の羽生、西の村山」と称されるほどの実力者で、将棋界を牽引する存在であったが、進行性膀胱癌にかかり、手術をしたが再発・転移し、1998年8月8日、29歳という若さでこの世を去った。
二階堂晴信が腎臓病を患っていること、病気を抱えながらも将棋に夢中になっていること、体型がふくよかであることなど、村山聖九段と共通する点が多い。桐島零のモデルが羽生善治というわけではないが、2人が対局する姿に、村山聖と羽生善治を重ね合わせて見てしまう人も多いだろう。
ロリコンはロリータ・コンプレックスの略称で男性が年の離れた年下の女子に対して恋愛感情や好意を抱くことを意味する。ロリコンの定義は非常にあいまいで何歳までがロリコンでそうでないのかというハッキリした年齢の定義がないが、一般的に18歳未満の女子を対象に恋愛感情を抱いた場合にロリコンと呼ばれることが多い。しばしば個人が主観で定義することもあり、幼い顔立ちの年上の女性に好意を抱いた場合もロリコンと呼ばれることもある。反対に女性が少年に好意を抱くことをショタコンと呼ぶ。
→ショタコン
フリルやレースがついた少女っぽいファッションをロリータ・ファッションと呼ぶが性的嗜好ではなくファッション的嗜好のため、ロリコンにおけるロリータとは少し意味が異なる。区別するためにロリータ・ファッションをロリィタと表記することもある。
ロリコン(ロリータ・コンプレックス)の由来
ロリータ・コンプレックスという名称はロシアの作家ウラジーミル・ナボコフの小説『ロリータ(Lolita)』 が由来となっている。『ロリータ』という小説は、大学教授のハンバート・ハンバート氏が少年時代に死別した恋人に面影が似たロリータの愛称を持つ少女、ドロレス・ヘイズに恋をする物語。ハンバート氏はロリータに近づくために未亡人である彼女の母親と結婚する。出会った当時ロリータは12歳 であり、ハンバート氏は今で言う立派なロリコン親父。
ロリータ・コンプレックスの由来はこの小説『ロリータ』だが、作中でロリータ・コンプレックスという言葉は使われておらず、日本で使われはじめた和製英語 である。いつからロリータ・コンプレックスという言葉が使われはじめたのかはハッキリ分かっていないが、1969年出版の『ロリータ・コンプレックス』(ラッセル・トレーナー)の和訳では言葉としては使われているものの、”少女が中年男性に興味を持つ”という意味で使われているため、現在のロリコンとは異なる。1974年出版の和田慎二の『キャベツ畑でつまずいて』でロリータ・コンプレックスという言葉が使われているため、初出に近い作品として挙げられている。
母親に対して強い愛着を持つ男性をマザコン(マザーコンプレックス)と呼ぶことから、おそらく同様の定義でロリータ・コンプレックスという言葉が誕生したと思われる。1970年代後半~1980年あたりにかけて広く使われるようになった。
小説『ロリータ』はスタンリー・キューブリックにより1962年に映画化されている。