Hells Angels(ヘルズ・エンジェルス)
読み : ヘルズ・エンジェルス
ヘルズ・エンジェルスはアメリカを拠点とするオートバイ・クラブ。1948年にカリフォルニア州フォンタナで結成された。
本部はニューヨークにあり世界22カ国・189支部・メンバー2,000人が所属する有名なクラブ。
ヘルズ・エンジェルスの由来
ヘルズ・エンジェルスというクラブ名の由来は、ハワード・ヒューズ監督の映画『Hell’s Angels(邦題:地獄の天使)』。イギリス陸軍航空隊を描いた映画。
オルタモントの悲劇
ローリング・ストーンズは1969年にカリフォルニア州オルタモント・スピードウェイでフリー・コンサートを開催。オルタモントに決まるまで会場は二転三転し、開催の2日前に会場が決まるという慌ただしさ。
そんなスケジュールでは準備もろくに出来ず、地元の警察への警備の手配もできなかった。そこでグレイトフル・デッドのコンサートも務めた経験を持つヘルズ・エンジェルスに白羽の矢が立ち、会場の警備を彼らに任せることに。しかし、ここから悲劇は始まった。
会場には30万人が詰めかけドラッグをキメた客もいたが、ヘルズ・エンジェルスはステージにのぼろうとする客を追い払い警備を遂行していた。
しかし、ジェファーソン・エアプレインの演奏中、ヘルズ・エンジェルスは客に暴力を用いて追い払っているのを見かねてヴォーカルのマーティ・ベイリンがメンバーに突っかかった結果、殴られるというアクシデントが起こる。そんな殺伐とした空気の中、フェスは中止せずに進行していきいよいよストーンズの出番となった。
3曲目の「Sympathy for the Devil(悪魔を憐れむ歌)」の演奏中、会場で客同士の殴り合いが始まり演奏は一時中断する。会場の空気がようやくおさまり演奏を再開。
しかし、「Under My Thumb(アンダー・マイ・サム)」の演奏中に悲劇が起こる。
メレディス・ハンターという黒人の少年が拳銃を手にし、ストーンズが演奏しているステージに向けていた。それを見つけたヘルズ・エンジェルスのメンバー、アラン・パサーロはナイフを取り出して少年の背中を刺し、数人で袋たたきにする。
少年は死亡したためアラン・パサーロは逮捕されたが、正当防衛が認められ釈放された。
1970年にストーンズの全米ツアーを映像化した映画『ギミー・シェルター』が公開され、「オルタモントの悲劇」の一部も収録された。