U2
読み : ユーツー
U2はアイルランド出身のロックバンド。アルバムの総売り上げ数は1億7,000万枚、グラミー賞受賞回数22回(ロックバンド最多)の記録を持つ世界的なバンド。
1976年に結成してから今まで一度もメンバー交代や脱退をしていない。2005年にロックの殿堂入り。
【目次】
U2の由来
U2というバンド名の由来はいくつかあるが、「U-2」というアメリカの偵察機から取ったという由来説が有名。または、ファンも含めてバンドの一員という意味を込め、「You Too」を「U2」と表記したといった由来もある。
以上のような由来の諸説があるが、メンバーによると「いくつかの候補の中でマシな名前を選んだ」のだそうだ。
それを裏付けるエピソードとして、U2が通っていたマウント・テンプル・スクールのスティーブ・アヴァリルというアート・ディレクターが考えた名前のひとつがU2で、いくつかの候補の中でU2が最も印象に残って覚えやすい名前だから選んだのだとのこと。
アメリカ・アリゾナでの脅迫事件:ボノとアダムの信頼関係
アメリカのアリゾナ州でコンサートを行った際、ボノは殺人の脅迫を受けた。
「コンサートを行うな。たとえ行なっても『Pride』を歌うな。もし歌ったら、おまえの頭を吹き飛ばしてやる。オレを止めることはできないぞ」
という内容の殺人の脅迫。
『Pride (In The Name Of Love)』は人種差別・人種隔離撤廃を訴える公民権運動を起こしたマーティン・ルーサー・キングのに捧げた曲であり、白人至上主義団体・KKK(クー・クラックス・クラン)などの人種差別団体から脅迫が数多く届いていた。
コンサートの中止も検討されたが、「路地裏の倉庫で練習してたときから、俺たちには失うものなんてなかった」という想いからコンサートの開催を決断。『Pride (In The Name Of Love)』もコンサートで演奏されることになった。
コンサートが始まり脅迫のことは頭から離れていたボノだったが、『Prid』を歌っている途中で脅迫を受けていたことを思い出した。
「もし誰かが引き金を引く準備をしていたら、建物の柱の陰に隠れていたら、ここやそこで誰かが拳銃を構えていたら」
そんな考えが頭によぎり、真ん中のヴァースにさしかかった時、ボノは恐怖を感じながらも死を覚悟して目をつぶって歌うことにした。
一人の男が現れた、愛の名のもとに
一人の男が現れ、そして去った
一人の男が現れた、正すため
一人の男が現れた、覆すため
愛の名のもとに
そしてヴァースが終わりにさしかかった時、目を開けるとボノの前に1人の男が立っていた。それはベースのアダムだった。
普段は定位置をあまり動くことのないアダムだが、まるでボノを守るかのようにアダムは立っていたのだ。
もしかしたら自分が撃たれるかもしれないというのに。バンドメンバーを守るために自分の命をかけ、彼のパートであるべースを弾きながらアダムはボノの前に立っていた。
2006年に3度目のノーベル平和賞候補に選ばれた際、ボノはこう言った。
「あの夜、あそこで見たヤツの背中を、俺は一生忘れない」
『SUNDAY BLOODY SUNDAY』とIRA支持者からの脅迫
U2の歌詞はボノがほとんど手がけており、政治的なメッセージが随所に込められている。
初期の名作である『SUNDAY BLOODY SUNDAY』(アルバム『WAR』収録)は北アイルランドにおける「血の日曜日事件(Bloody Sunday)」について歌っている。
「血の日曜日事件」はイギリス統治への反対運動を1970年代から行なっていたIRA(アイルランド共和軍)が1972年1月30日に非武装の市民27名を死傷(14名死亡、13名負傷)させた事件。『SUNDAY BLOODY SUNDAY』でIRAの活動を批判的な立場を示したため、IRA支持者から脅迫を受けた。
「LIVE AID」での圧巻のパフォーマンス
1985年に行われた「LIVE AID」でU2は『Bad』を演奏。会場、そして何百万人がテレビを通して見ている中で圧巻のパフォーマンスを披露。
イントロではボノがルー・リードの『Satellite Of Love』を口ずさむ。そして曲の後半に入るとボノはステージから客席へと降り、観客の女性をステージに上げる。
曲のエンディングではローリング・ストーンズの『Ruby Tuesday』、ルー・リードの『Walk On The Wild Side』をアドリブで歌い観客と掛け合いをしてさらに盛り上げる。
『Bad』は6分ほどの曲だが倍の12分近く演奏していた。そのためこの後に演奏する予定だった『Pride』が演奏できなかった。
これは他のメンバーにとって予期せぬことで、ボノはライブが終わった後、メンバーに散々怒られたそう。
初期3部作
1980年代、1990年代でU2の音楽は大きく変化した。
1980年代の中でも「初期3部作」と「中期3部作」に分かれ、「初期3部作」は『BOY』『Octorber』『WAR』の3作。社会問題などをストレートに表現した歌詞、まだ未完成ながらパワーのある演奏が特徴。
中期3部作
「中期3部作」は『焔』『JOSHUA TREE』『魂の叫び』。『JOSHUA TREE』はグラミー賞最優秀アルバム賞を受賞。
ブライアン・イーノとダニエル・ラノワがプロデューサとして参加し、ルーツミュージックを取り入れ、内向性の強い音楽へと変化。
シンセポップ3部作
1990年代は「シンセポップ3部作」の時代に突入する。『Actung Baby』『ZOOROPA』『POP』の3部作。
これまでのストレートなロックから一変し、テクノサウンド・シンセサウンドを取り入れた革新的な3部作。
ライブパフォーマンスもこれまでの実直なイメージから一変。官能的で映像テクノロジーを駆使したパフォーマンスを行うようになる。
原点回帰
2000年代は「原点回帰」。
1990年代のシンセポップから一変し初期を思わせるストレートなサウンドへと回帰。