伊集院光

読み : イジュウインヒカル

伊集院光は日本のタレント、お笑い芸人、ラジオパーソナリティ。
高校を中退し三遊亭楽太郎(現圓楽)の弟子となる。落語家として修行をしていたが伊集院光としてラジオに出演するなどして活躍したこともあり落語家を廃業。以後はラジオやテレビで活躍している。
芸能界きってのゲーム好きとしても知られ、ファミ通でコラムを書いたりゲーム番組の司会を務めたりもしている。また、スポーツ好きで特に野球好きとしても知られており、日本ハムファイターズ、中日ドラゴンズのファンである。自らも草野球チームでプレイしている。

伊集院光の芸名の由来

本名は篠岡建(旧姓田中)
三遊亭楽大として落語家の修行をしていたが、ニッポン放送の『激突!あごはずしショー』というオーディション番組に出演の依頼があった際、師匠の許可を取らずに出演することになった。ラジオだから名前を変えて出ればわからないだろうということで、なるべく顔を想像できないような名前を付けることに。そこで顔とはかけ離れた名前ということで「伊集院光」と名乗ることにした。使い捨てにするつもりの名前であったが、ラジオで人気となってしまったためそのままそれが芸名となったのである。
名前の候補として綾小路遥というものもあり、同番組に二度目の出演をした際にはその名前を名乗っていた。

中二病について

現在ではネットで広く使われている「中二病」という言葉を最初に考えたのは伊集院光である。

ラジオ『伊集院光 深夜の馬鹿力』で1999年に行っていた「かかったかな?と思ったら中二病」というコーナーがその始まりであり、中学二年生くらいの年代でありがちなことを投稿してもらうコーナーであった。もともとリスナーとのやり取りの中で形成されたいった言葉でもあるため、「中二病」のハッキリとした定義などはなく、「思春期によくある恥ずかしい行動」という意味であった。
しかし、その言葉がネットで広く使われるようになり、次第にその言葉は変化し蔑称のように使われるようになった。これについて伊集院光本人はラジオ等で「自分の考えた言葉とは意味が変わっているので興味が無い」と語っている。

「中二病」という言葉が気に食わなかったZeebraとTwitterで論争になったこともある。

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