インテルナツィオナーレ・ミラノ

読み : インテルナツィオナーレ・ミラノ

インテルナツィオナーレ・ミラノはイタリアのプロサッカーリーグ・セリエAに所属するサッカークラブで、イタリアのミラノを本拠地としている。
略称はインテルやインテル・ミラノ、愛称はネッラズーロ。
ネッラズーロはイタリア語の「nero(黒)」と「azzurro(青)」を組み合わせた言葉で、クラブカラーが青と黒であることに由来する。

インテルナツィオナーレ・ミラノの意味・由来

インテルナツィオナーレ・ミラノはイタリア語で「国際的な」を意味する「Internazionale」に由来する。
20世紀の初めにはイタリア・ミラノにはミラン・クリケット・アンド・フットボール・クラブ(後のACミラン)しかなかったが、ミランは外国人加入に消極的で選手はイタリア人だけで構成すべきという考えを持っており、その考えに反発したミランの会員数名がクラブを脱退し、1908年に新しくフットボール・クラブ・インテルナツィオナーレ・ミラノを立ち上げた。
新チームはイタリア人だけでなく、外国人選手も積極的に加えて強いチームにしようという考えを持っていたことから、「国際的な」を意味する「インテルナツィオナーレ」をクラブ名に取り入れた。つまり、インテルナツィオナーレには国籍に問わず国際的なチームを作ろうという思いが込められている。

長友佑都のインテル加入

日本代表左サイドバックの長友佑都は、FC東京からセリエBのACチェゼーナにレンタル移籍し、2011年1月31日に移籍金約2億円でACチェゼーナに完全移籍。同日にダビデ・サントン(イタリア出身)とのトレードによりインテルへレンタル移籍することが決まった。
当初はシーズン終了までのレンタル移籍であったが、2011年7月1日に5年契約でインテルへ完全移籍することとなった。
イタリアの名門クラブであるインテルに日本人サッカー選手が加入したのは初めてのことで、「国際的」という意味を冠するクラブ名の通り、長友は日本サッカー界にとってもインテルにとっても新しい歴史を作った。

イタリアは左サイドバックが不足であるという事情もあり、インテルだけでなくACミランも長友の獲得に乗り出していた。インテルの元監督であるアルベルト・ザッケローニが日本代表の監督に就任したことはイタリアでも話題になり、日本代表の試合がイタリアでもスポーツニュースで取り上げられるようになった。
そうしたイタリアのサッカー市場の状況も追い風となったとも言えるが、世界トップクラスの名門クラブ・インテルでプレイ出来るだけの実力を長友は備えており、加入後は左サイドバックとしてインテルのレギュラーを獲得している。

長友は元々ボランチ、右サイドハーフで、明治大学のサッカー部に入部した直後にケガをし1年ほど試合に出場できず、2年の時に右サイドバックにコンバートされた。高校時代は無名であったが右サイドバックにコンバートしたことをきっかけに頭角を現し、大学卒業前にFC東京に加入。FC東京では左サイドバックとして出場し、日本代表にも招集され左サイドバックとしてのポジションを築いていった。
長友は右利きで大学1年の時まで異なるポジションでプレイしており、そこからインテルミラノの左サイドバックのレギュラーを獲得した凄い選手なのである。

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